2016年04月25日 | カテゴリー : にっぽん塾
水龍「僕達が住む、愛すべき日本の文化や風習を」
炎龍「子ども達に!あ、未来に!!伝え繋げるための連載企画!」
水&炎「双嵐龍(ソーランドラゴン)の にっぽん塾!!」
炎龍「今回は春の風物詩『花見』についてでい!」
水龍「北海道でもようやく雪が解けて、桜が咲き始めてきたね」
炎龍「本州の人にとっちゃあ、もうとっくに花見の時期なんて
終わってるかもしれないけどよう、北海道ではGWが毎年花見の時期でよぉ!」
水龍「小さい頃は4月29日みどりの日は、おじいちゃんおばあちゃんと必ず花見に行ってたよね!」
炎龍「おばあちゃんとお母ちゃんが作ったごちそう、なまら懐かしいぜぇ!
まぁ俺っちは“花より団子”!炎龍でぇい!」
水龍「日本では全国的には北海道よりも約1か月ほど早く
3月末から4月にかけて桜が咲き誇るんだけど、
いつごろ、どこでどの桜が満開になるかがこの時期の話題だよね」
炎龍「でも、桜をみてっと何だか力わくよな?なんでだろうなあ!?
なんてったって「桜」は日本文化にとって、重要なものみたいだぜぃ!
かしこい水龍が色々知ってるみたいだから、
教えてくれるぜぃ!頼んだぜ水龍!」
水龍「OK!」
「明日ありと思う心の仇桜」 と 親鸞(しんらん)が世の無情(むじょう)を説いたり、
「さまざまのこと思ひ出す桜かな」 と松尾芭蕉(まつおばしょう)が詠(よ)んだり、
古くから日本人の心と共にある桜と花見。
花見(はなみ)の歴史(れきし)はとっても古く、
古代(こだい)にその習慣(しゅうかん)が生まれたという説もあります。
奈良時代の頃には、中国から梅が渡って来て、
梅の花見が人気だったようです。
炎龍「なんと!奈良時代の花見は桜じゃなくて、梅だったんだなあ!」
水龍「でも、平安時代に入ると梅から桜へと人気が変わって行ったみたいですね。」
嵯峨天皇(さがてんのう)が神泉苑で初めて花見の会を開き、
貴族の間で花見が盛んになったようです。
鎌倉・室町時代には源頼朝(みなもとのよりとも)や足利将軍なども
大きな花見の会を開いたけど、とくに安土桃山時代に
豊臣秀吉が吉野山や醍醐寺で開いた大がかりな
花見の会はとっても有名です。
炎龍「おうおう、みんな俺っちも聞いたことある、有名な武将さん達だなあ。」
水龍「ちなみに今でも吉野山と醍醐寺の二つは、とても有名な花見スポットです。」
炎龍「確かに、ニュースとかでもよく見るかもなあ。」
水龍「江戸時代に入ってからは八代将軍吉宗(よしむね)が
桜を飛鳥山や隅田川堤に植えて
桜の名所を次々と誕生させました。
炎龍「おお!暴れん坊将軍!これまた有名な歴史上の人物だなあ!
そんなおなじみの方たちが今の桜の名所を作ったのかあ!
俺っち全然、知らなかったぜい…」
水龍「そうして貴族や武士だけでなく、一般庶民も楽しむ行事として、
花見がどんどん広がって行ったんですよ。
でもなぜ、そこまで春の風物詩として
日本に花見が根付き、広まって行ったのか・・・、
それには日本人の素敵な価値観
が関係していると言われています。
それは・・・
また次回に!!
炎龍「出たあ!水龍先生お得意の次回に続くだなあ・・・。」
水龍「次回の更新もお楽しみに!」