息子がダウン症だと確定した日~1か月検診で出た染色体検査の結果(2018年7月3日)
好評のダウン症児Uくん子育て・育児回想記。
今回は僕のヒーロー!Uくんの染色体検査の結果が出た1か月検診の日、
2018年7月3日(火)のことを振り返ります。
かなりの寝不足でむかえた当日…。1か月検診の様子や、染色体検査の結果が分かった時のパパの心境や想い、
そしてママはどう想っていたのか?そしてパパが何を決意し、家族に何を想い、どう動きだしたか…などを綴ります。
かなりの寝不足でむかえた当日
僕はその日を、相当の寝不足でむかえました。
本当に息子はダウン症児なのか?そうじゃないのか?もし本当にダウン症だったら…
今後の息子の成長、知能、健康、教育、療育、学校、人生は…
僕ら家族の生活、日常、人生は一体どうなっていくのか?
僕ら夫婦は共働きのままで、僕の仕事は今のままで、本当に大丈夫なのか?
僕ら夫婦が、家族が、本当にダウン症の子どもを育てられるのか?
もしかしたら相当大変かもしれない?無理かもしれない??
本音、建て前、苦悩、葛藤、悩み、疲れ…
そんなことが頭を堂々巡りで、染色体検査の結果がわかることが、
ソワソワでドキドキで、もう一睡もできなかったのだ……
ってわけでは、全然ありません(笑)
ハイ、毎度?大変すみませんが、全然そんな感じではなく(汗)
その日の多くの日本人と同じように?
僕も夜通しで?(いや、少し仮眠をとってから夜中に起きてだったかな?)
サッカーのW杯日本代表の決勝トーナメント1回戦!
日本VSベルギー戦を応援観戦していたのです(笑)
前半は正直、寝ぼけ眼であまり覚えてないくらいだけど、
(確かハーフタイムに合わせてUくんのミルクタイムしたのかな?それすらあまり覚えてない 笑)
後半すぐに原口元気と乾がポンポン!と立て続けに2点先取したくらいからガゼン目が覚めて、
ひょっとしたらひょっとするぞ!?と期待に胸躍らせ、応援にも力が入り、
しかし、1点返され、追いつかれ(泣) いや、まだまだ!と交代で原口の代わりに出てきた本田に期待をかけ、
なんとかねばりにねばったのに、後半ロスタイムでついには逆転されるという流れにガックリ…。
まあ、いい夢みさせてもらったけれど、日本全国、上の写真の西野監督みたいな表情になっちゃったよね…。
いざ大学病院で1か月検診!
その後、朝のミルクもこっくりこっくりしながらUくんにあげた気もするし、
起きてきた妻が私がやるよ!って言ってくれて、仮眠とった気もするし、そこもあまり覚えてないけど(汗)
その日の朝もUくんはなまらめんこくて
娘とUくんも朝からラブラブで
午前中に病院の予約が入っていたので、娘を学校に見送った後は、
妻とUくんと3人でバタバタと病院に向かった。
そして1か月検診ということで、
身長・体重・頭囲・胸囲などを測ったり、
原始反射チェック?みたいのもしたけど、
成長の数値も、そう悪くはなく順調に増えてるみたいでしたよ。
Uくんはミルクを飲むのに少し時間はかかるけど、飲まない、飲めないってわけではなかったしね。
あと、退院した時に経過観察だった黄疸も大丈夫みたいで一安心。
そして運命の?染色体検査の結果は…
そしてついにキタ!運命の染色体検査の結果発表!!
こんな紙を2枚渡されまして、担当の医師から説明が…
Uくんの細胞を採取して、染色体を検査し
並べ替えて調べた結果
やはり21番目の染色体が3本あり
21トリソミー、つまり「ダウン症」であることが確定しました…とのこと。
ガ~ン…やっぱ、そっちなのね~~…。
それがその時の率直な僕の感想でした。
息子がダウン症だと確定した時の心境
さすがの僕も、
やはり正直に、率直に、ショックにはショックでしたよ。
これまでの回想記にも記している通り、僕は
〇Uくんにあまり自分で調べて見てわかるような確定的なダウン症の特徴がなかったこと
〇確かにミルクを飲むスピードは遅かったかもしれないけど、飲まないとか、戻すということはなく
順調に飲んでいたこと
〇手足もよく動くし、泣き声も元気だし、弱弱しい感じは全く見られなかったこと
〇心臓や消化器に合併症などもなく、元気に、普通に、毎日を過ごしていたこと。
〇強いて言うなら、便秘気味で2~3日に1回はお尻に綿棒ツッコんでグリグリしてウンチを出してたことくらいが心配事かな?
などなどの状況から、
ダウン症なのか?そうじゃないのか?正直、五分五分くらいじゃねえ?
とお気楽に考えていたのです。
だから、どっちに転んでもいい心の準備はしていたつもりだけど、
いざ、Uくんがダウン症だと確定した時は、率直に
「あっちゃ~、そっちだったか~~…」と思ったわけです。
そんで、
こりゃ、今後病院通いとか、療育通いとか、ちょいと大変なことがいろいろ増えるな~~
正直ちょいと、めんどっち~な~~
…なんて思ったのも本音です(笑)
あと、そうか~、Uくんはダウン症か~…と思った時に、
これまで僕が、息子ができたら…と妄想していたいくつもの夢のうち、
例えば、一緒にアクロバットやアクションをするとか、
僕と同じヒーローショーや忍者ショーのアクターに育てて共演するとか、
そうしたことは相当ハードル高くなっちゃうなあ・・・
とも思いました。
(まあ、相当大変かもしれないけど、可能性はゼロではないと、
もし今後Uくんが興味を持ったり、それを望んだ時は 全力でサポートするし、
無理だと決めつけずに挑戦させたいと、今でも思っていますが…。)
また、これまでYOSAKOIソーランの踊り子仲間では、ダウン症の仲間が何人かいたので
「家族みんなでYOSAKOIソーラン祭りで踊る!という夢は、
Uくんがダウン症でも間違いなく叶えられる!大丈夫!!」
ということは思いました。
(YOSAKOIソーランのダウン症の仲間達の存在は、
僕のダウン症感というかにも、すごく色んなプラスの影響をくれていたし、
その親御さんにも、この後の展開で大変お世話になったりするので、
いつか改めてブログにもまとめを書きますね~!)
そして、いろんなダウン症児の親の方の体験記などでよく読むように、
染色体検査の結果を聞いた時、目の前が真っ暗になって、もうその先を覚えていない…とか、
Uくん自身に対して「ごめんね」とか申し訳ないとか、両親に対して「ごめんね」とか申し訳ないとか、
そんな感情には、僕は全くなりませんでしたよ…。
選ばれちゃったからにはUくんを絶対幸せにするし、自分も新しい世界を切り開き、もっと幸せになる!
むしろ
「やっべ~、俺ってば、きっと…神様なのか、いやいやUくん自身なのかに、選ばれちゃったんだなあ~」
なんて思いました。
(注:こういう風に自分で思ったり言う分にはいいけど、他人に「アナタだから選ばれたんだよ」なんて言われると、
逆に腹が立つ…という人も少なからずいるみたいなので、皆さん要注意!?
僕の場合は「いや~、そうなんですよ~!僕もそう思います~~!!」って調子に乗るけど 笑)
そしてUくんに対して、
「こいつ、俺をパパに選んで産まれて来たな~。お目が高いぞコノヤロ~~!
その選択は大正解!俺を選んだことを、絶対に後悔させないからな~!
絶対に最高で幸せな人生を送らせてやるからな~~!!」
と思って、Uくんをどんどん幸せにするし、
自分も新しい世界を切り開いて、新しい幸せをどんどんみつけるぞ!と固く決意しました。
一方、その時妻が思ったこととは…
一方、その時の妻はというと…
これまでの回想記にもちょこっと記していたように、
染色体検査の結果が出るまで、Uくんがダウン症かは五分五分だと思っていた僕とは違って、
結果が出る前からUくんは100%ダウン症だと確信していたという妻は、
この結果をいざ聞いた時も「やっぱりそうだよね…」と思ったみたい。
そして一番思ったのは
「なぜあの時、羊水検査をしなかったのだろう?」
という後悔だったとか。
この後悔の感情は、結構この後、後々まで妻を苦しめることになる?かもしれないのだけど、
僕達はもし羊水検査をして、胎児に障がいが見つかったら、堕ろすつもりでいた…。
つまりこんなにめんこいUくんに、僕達は出逢えなかったのかもしれないのだ。
その方がよかったなんて悲しすぎるし、絶対にそうは思わせないようにする!俺が!!
と僕は強く思った。(もし、かなり時間がかかったとしてもだ。)
この羊水検査などの出生前診断をするかしないか問題に関しては、
また後ほど改めて「妊娠期の出生前診断シリーズ?」みたいな形で、
妊娠期にどんなことがあって、どんな経緯で、どんな決断をしたのか?ということは
あらためてまとめたいと思っています。乞うご期待!?
でも、妻も
「きっとUくんはね、パパを選んで産まれてきたんだよ。」
とあきらめたような感じで言った。
「実はさ…俺もそう思うんだわ(笑)」な~んて、おちゃらけて言ったら、複雑な表情をしていた…。
(ちなみに、あれから2年経った今思うのは、Uくんは僕だけじゃなくて、もちろんママも、そして特に娘を?つまり僕ら家族を選んで産まれてきてくれたんだなあと、そう想います!
Uくん僕を、僕ら家族を選んでくれてありがとう♡)
絶対に!妻も、娘も、Uくんも、全員笑顔で!幸せな家庭を、家族を、俺がつくる!俺がみんなを守る!!
息子Uくんがダウン症だと確定した日も、
その後病院から家に帰ると、学校から帰ってきた娘(Uくんのお姉ちゃん)は、
そりゃあ、もうUくんを溺愛し、
Uくんにメロメロで、
もうそんな2人を見ているだけで、僕は最高に幸せな気持ちになった。
それと共に、
娘にUくんの「ダウン症」という障がいのことを、
どのタイミングで、どのように伝えるのか…?
それはベストな方法やベストなタイミングをしっかりと見計らい、絶対に間違いないように?
この娘のUくんへの愛情が変わらないように、損なわれないように
考えて、吟味して、実行したいと強く思った。
(そのために、
ここから僕は、WEB上でも、本でも、実際にダウン症児の家族の方々などに話を聞くなど、
いろんな情報収集を始めていくのだけど、
うちの娘のようにダウン症の弟と12歳も離れていて、
まさに思春期真っ只中で、障がいとか、ダウン症という言葉なども
きっと知らないわけじゃないような、複雑なお年頃のきょうだい児に、
いったいどのような方法やタイミングで、どんな階段を踏んで伝えるのがベストなのか?
と言うことに関して、
なかなかこれだ!とピンポイントで参考になるケースがなかったので、
後ほど、これも「思春期のきょうだい児への伝え方編」みたいな形で?
僕らが実践したことを改めてまとめようと思ってます。)
そして、Uくんが産まれた瞬間をピークに!?どんどんと下降線をたどる一方だった
この時の妻の感情、後悔、沈んだ想いを、再び浮上させるのは
モチロンUくんであり、娘でもあるんだけれど、
やはりここは一番僕が、その綱を引っ張り上げる役割を担うんだ!と、
そう決意を新たにもしたのだ。
とにかく、Uくんが「ダウン症」だったことが確定して、
Uくんがいわゆる「障がい児」であることがわかり、
僕は、僕ら夫婦は「障がい児の親」となり、
娘は「障がい児のお姉ちゃん」になったことがわかったこの日、
だからといって、何も卑下することも、落胆することもない!?
だからってどうした!むしろだからこそ?いやいや、そんなことは関係なく?
俺達は幸せだ!と言える、全員笑顔で幸せな家族を、家庭を、俺がつくる!俺が守る!!
そんな想いも新たにし、
Uくんと僕の、そして僕ら家族の、幸せラブラブ親子・家族の物語の
第2章がこの日から始まることとなったのだ。
これにて、回想記第1章…完!!
(一区切りってだけで、まだまだ続くけどね…。)
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