こいのぼりの由来や意味、子どもの日に込められた想いと文化が感動で教えたい!【ソーランドラゴンのにっぽん塾】
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【ソーランドラゴンのにっぽん塾】
今日はこどもの日という事で、鯉のぼりや子どもに日について!!
こいのぼりはなぜ飾る??By炎龍
てやんでい!炎龍でい!
なんでもよ、中国(ちゅうごく)の昔話(むかしばなし)でよ、
“竜門(りゅうもん)”とよばれる滝(たき)を
いろんな魚が登(のぼ)ろうとしたんだけど
登りきりれたのは鯉(こい)だけだったんだってよ。
そしてその鯉(こい)はなんと、竜(りゅう)になることができたんでい!
そんな伝説(でんせつ)があってよ!それが日本に伝わり、
男の子の節句(せっく)である、
5月5日の端午の節句(たんごのせっく)の前後に
将来(しょうらい)は大きく出世(しゅっせ)してほしい”
ってな願いをこめて、鯉のぼりがかざられるようになったんでい!
また「わが家に、男の子が生まれました。どうぞお守りください。」
と天のご先祖(せんぞ)様や神様に伝え、
守っていただく意味があるとも伝えられているぜ!
そもそも、こいのぼりは、お正月編でレポートした
裕福(ゆうふく)な庶民(しょみん)の家で始まった
習慣(しゅうかん)なんだってよ!
次回はそんな鯉のぼりの歴史を、
水龍先生がさらに詳しく教えてくれるぜ!!
バトンタッチ前に一丁!あ 炎龍こいのぼりでい!!
どうでい!すげえだろ??
したっけバトンタッチ!
こどもの日の由来By水龍
今日、5月5日は
子どもの日!
生み育ててくれたおかあさんに感謝(かんしゃ)する、国民の祝日です。
子どもの成長を祝う「端午(たんご)の節句(せっく)」が5月5日だったことが由来(ゆらい)しています。
そう、これまで、お正月やひな祭りのにっぽん塾でもでてきた、
五節句のうちの一つだね!
菖蒲(しょうぶ)を飾ったり、菖蒲湯(しょうぶゆ)に入り、
柏餅(かしわもち)やちまきを食べ、
端午の節句は、「菖蒲の節句」ともいいます。
奈良(なら)・平安(へいあん)時代、
まだ病気(びょうき)の原因(げんいん)がわからず、治療(ちりょう)もままならない時代。
かおりの強い“菖蒲”の葉(は)が、
魔除(まよ)けや薬草(やくそう)としてつかわれ、
いろいろな行事が行われていました。
そして鎌倉(かまくら)時代、武士(ぶし)の時代が来ると、
「菖蒲」が、武運(ぶうん)を大切にする「尚武(しょうぶ)」と結びつき、
男の子の厄(やく)よけと成長をねがったり、お祝いしたりするようになりました。
鯉のぼりが広まったのは江戸時代
そして、江戸時代には、
5月5日は、徳川幕府(とくがわばくふ)の重要(じゅうような)な式日(しきび)に定められ、
大名(だいみょう)や旗本(はたもと)が、式服(しきふく)で江戸城(えどじょう)にまいり、
将軍(しょうぐん)にお祝いを奉じるようになりました。
そして、武家に男の子が生まれると、
おうちの門の前に馬印(うましるし)や幟(のぼり)を立てて
お知らせし、お祝いしました。
これが今の、こいのぼりの発祥と言われています。
また、身を守ってくれる鎧(よろい)や兜(かぶと)は、
武家にとって、特に男子にとって、とても大事なものでした。
そんなことが重なり、端午の節句では、
鎧や兜は子どもに災(わざわ)いがふりかからず、
無事にたくまししく成長するように
との願いを込めて飾られるようになりました。
この行事が、薬草をつんで邪気をはらうという端午の行事と結びつき、
男の子の誕生や成長のお祝いへと発展していっただそうなのです。
そして、だんだんと豊かになっていた江戸時代の中頃には、
庶民(しょみん)の家でも武具(ぶぐ)の模造品(もぞうひん)を作りかざったり、
のぼりのかわりに五色の吹流しをかざるようになりました。
さらに、吹流しを飾るだけではなく、
一部の家庭で「竜門」の故事にちなんで、
吹流しにこいの絵を描くようになり、それが広まっていきました。
登竜門の話を「こいのぼり」という形で、青空を泳がせるという発想は、
日本人独特の感性と言ってもいいかもしれませんね!
紙から布へ、そしてどんどん大きくなった鯉のぼり
江戸の頃は和紙(わし)に鯉(こい)の絵をかきましたが、
大正(たいしょう)時代にはやぶれない綿(めん)のこいのぼりが生まれ、
昭和(しょうわ)三十年代の半ばには雨にぬれても色のおちない
合成繊維(ごうせいせんい)の鯉のぼりが誕生し、現在に受つがれています。
数も1匹から、2匹へ、3匹へと増え、
こいのぼりのうたにもあるように
大きな黒の真鯉(まごい)がお父さん、
赤い緋鯉(ひごい)がお母さん、
さらに小さな青や緑は子どもたち。
それ以外では緑色や黄色、オレンジ色、紫色など、女の子や次男、三男のお子さんなどのために各色が出現しています。
そうしてやがて家族の数だけこいのぼりを飾るという家が一般的になっていきました。
しかし1980年代以降、住宅状況の変化で、
民家の庭に高々とこいのぼりが揚がる姿を
見ることはだんだんと少なくなっています。
学校や幼稚園の工作で作られるなどして
この時期おなじみの風物詩となっているよね。
By水龍
まとめ
しあわせを願う、愛があふれてて、本当に素敵だよなぁ
人形や、鯉のぼりや、休日に文化を残し受け継がれていくことの意味がとってもしみるよね
だから江戸っ子口調なのは、公然の秘密だぜ!てやんでい!あはは!
※放送後に配信動画付け足しました!
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