ダウン症の息子が産まれた2~3日後のこと(2018年6月9~10日)~転院と染色体異常の疑い

ダウン症の息子が産まれた2~3日後のこと(2018年6月9~10日)~転院と染色体異常の疑い

僕のヒーロー!ダウン症の息子”U”が産まれた2~3日後のことを振り返ってみたいと思います。

これまでのお気楽ムードから一気に深刻に…!?

 

息子にダウン症の疑いがあることを知った時、どう感じたのか?という本音、

その後どう動き、どう両親に打ち明け、
どう支えてもらったのが嬉しくて、どういう経過をたどったか‥‥。
もし誰かの、何かの参考になればと綴ります。

 

一昨日から始まったこのダウン症児子育て・育児ブログ。
今日もちょうど2年前の2018年6月9日とその翌日編です!

【幸せの絶頂の僕と、転院した息子】

その日僕は「最愛の娘と札幌のYOSAKOIソーラン祭りで一緒に踊る」という
長年の夢をついに叶えられてもう幸せの絶頂にいた!


しかしその頃息子は…

保育器に入る原因となった呼吸の不安定さにより?
産まれた個人病院から、大きな大学病院に転院するという事態になっていた。

産まれたばかりの息子が大学病院に搬送されるのを
不安そうに見送る妻の心労を露知らず?

 

息子が産まれた喜びに加え、
娘と一緒にふるさと札幌で踊るという長年の夢を
ついに叶えた幸せWパンチで人生絶頂!?


調子に乗りすぎて踊ってる最中に思いっきり開脚ジャンプしたら
ズボンの股が裂けてしまったくらいで(笑)

(お見苦しくてすみません…汗)

 

妻もきっと来年は!そして産まれた息子もゆくゆくは…
と、家族4人で一緒に踊る幸せまで夢を馳せニマニマ。

 

夢見ごごちな僕は、夕方の電話で

「まあ、設備が整った大学病院でしっかりと見てもらえれば大丈夫だよ~」
ってな感じで、あまり深刻には受け止めていなかった気がする。
(今考えると、お気楽な反応で妻ごめん!ホント…)

【染色体異常の疑い…】

そしてさらにその翌日、第27回YOSAKOI ソーラン祭りも最終日を迎え、

僕ら双子がプロデュースする道産子ヒーロー·舞神ソーランドラゴンの活躍や、

さぁさみんなでどっこいしょのスタッフ&踊り子としての演舞も一段落した夕方、


妻から何やら深刻なトーンの連絡が!?

 

まずは息子が大学病院に搬送される原因となった不安定な呼吸については、
落ち着いてきてるし、しっかり検査などした結果、
特に大きな問題はないということになった。ひと安心。

 

しかし、新たに浮上したことにゃ、

産まれた息子にはどうやら染色体異常の疑いがあるということなのだ!

なんですとー!?

 

染色体異常については実は妻が妊娠して間もなく、
胎児に疑いが浮上してひと悶着あったこともあり
(これに関しては後日改めて詳しく紹介したいと思うが、今のところ割愛。)

その時に色々と調べたのでいろんな予備知識はあったけど、

 

その後胎児の心臓や成長に異常や遅れは見られず、
その疑いは払拭されたものとばかり思っていた。

その時の知識を頭の中から引っ張り出してみるに、
確か染色体異常と言えばいくつかの種類があれど、

一番メジャーなのはやはり「ダウン症」というやつだったはず…

【やはりダウン症の可能性が…】

焦らず、慌てず、少し動揺気味で泣き声混じりの妻に、
ゆっくり落ち着いて話を聞いてみることにゃ、


どうやらやはり、息子にはそのダウン症の可能性があると言うのだ。

あらまあ…やっぱそうなの!?

まだ疑いがあるということだけで確定ではないけれど、
息子が本当にダウン症なのか?確定させるためには
染色体検査をして詳しく調べてもらう必要があるとのこと。

 

「それは一刻も早く検査してもらおう!」とすぐ僕は言った。

でも、まずは夫婦でそろって、もう一度病院の先生の話を聞かなければならない。
詳しく聞いた方がいい、いや、聞きたい!!そう思ったし、実際そう言ったと思う。

【大丈夫!どう転がっても絶対に幸せな毎日を、家族をつくる!!】

「大丈夫だよ。絶対に大丈夫!

不安でいっぱいだし、いろんなよくないことばかり考えちゃうかもしれないけど、

どんな風に事態が転がっても、おいらが、妻を、娘を、息子を、
全力で守るし、支えるし、絶対に幸せな家族をつくる!

幸せな毎日を、おいらがつくるから、それだけは絶対に大丈夫だからね!!」

と根拠のない自信で言った気がする。

 

そう、実は、今までの人生で培った
持ち前のポジティブさと言うか、ドリプラマインドと言うか
(ドリプラについては説明すると長くなるのでここでは割愛。
知ってる人だけ通じれば 笑)

 

本気でおいら、とっさに、ショックでピーンチ!ではなく、

ビックリだけどチャーンス!!と思ったのよ。マジで…。

(なんでそう思うねん!というのはドリプラを知らないは人には
理解しがたいかもしれないけど、本筋とずれてくるので、とりあえず今は割愛 笑)

よくありがちな?「子どもがダウン症なんて、人生オワタ…」でどん底。
→からの~メンタル復活感動ストーリーを期待してた方、ご期待に沿えず大変すみません(汗)

でも、逆に珍しくないですか!?この僕のポジティブさ(自分で言うな 汗)

もし、あまり共感してもらえなくても、きっと何か伝えられるプラスのものがある気がしてます。

得意の根拠のない自信ですけど(爆) どうかここでブログ読むの止めないで下さい(^^;)

【すぐに茨城に戻ることに】

そして実はYOSAKOI ソーラン祭りを終えた後も、

産まれたときから我がライバルであり、パートナーであり、相棒の、
僕の双子の朋樹の結婚式やら、

北海道で僕ら双子が運営し、展開するご当地ヒーロー·ソーランドラゴンのサイダーが

全道発売されたばかりで、

そのPR キャンペーンや、

先行箱買いしてくれたファンのお家にヒーローが直接届けに行くお届けキャンペーンやら、

北海道で一番古くて、伝統があり、大きなお祭りでもある北海道神宮例祭、
通称札幌まつりでのソーランドラゴン奉納ショーなどが目白押しで、


しばらく茨城に帰る予定のなかった僕だけど、

即座に翌日、一旦茨城に戻ることを決断。すぐに飛行機もとったのだ。

 

そして、お祭りの帰りの車の中で、自ずとまずは相棒·朋樹にこのことを伝え、

本当は僕が北海道にいてやるはずだった様々な仕事やら何やらを、
結婚式間近な人生の一大事な朋樹の全面フォローで調整してもらって、
(「確かに俺も人生の一大事だけど、オマエこそ人生の一大事かもしれんで」って、
朋樹本当にあの時はありがとう!!) 無事、妻と息子の元へすぐ戻れることに!

【妻の双子と兄に大大大感謝!】

ちなみに、僕も娘もばあばも札幌で踊っていて、
妻とじいじしか茨城にいなかったこの時に、

 

息子に染色体異常、とりわけダウン症の疑いがあります…という話を、
妻と一緒に病院で予期せず?いきなり聞かされたのは、
一緒に隣で寄り添って聞いてくれたのは、

妻の双子の相方·Tちゃん(そう、僕ら夫婦はなんとお互い双子なのです!)と妻の兄。

 

いきなりすぎて「え?誰のことを話しているの?」と戸惑ったというのがTちゃんの後日談。

その衝撃的なファーストインパクトの場にいられなかったことは、
Uの父として、妻の夫として大変申し訳なかったけど、
あの時、二人が一緒に聞いてくれたこと、
そして妻をすぐ近くで支えてくれたことは、本当に本当に感謝感謝です。

 

特に妻の双子のTちゃんがすぐに

「もしこの子に障がいがあったとしても、私はなんも恥ずかしくもなんともないし、
全然大丈夫!全面的に協力するよ!!」

というようなことを言ってくれたのは、
妻にとってもすごく嬉しかったし心強かったみたい。
本当にありがとう!双子バンザイ!!

【まず、北海道の両親には伝える】

その夜、実はYOSAKOIソーラン祭りのために札幌に来ていた娘と義母も、

お祭りが終わりすぐにチームのみんなと一緒に
新千歳空港から茨城空港へと飛び立ったあとで、

娘はモチロン、義母にも伝えるタイミングはなかったし、

今後どのようなタイミングに、どう伝えるかはとりあえず
明日、夫婦揃って病院の先生に話を聞いてから考えよう…となった。

 

でも、僕の両親にはそうした疑いがあるということを先に話しちゃうよー!
と妻に話した。

 

よく両親にどう伝えて、両親がどのように捉えて受け入れてくれるか…
みたいな問題もあると聞くけど、

うちの両親はしっかりと前向きに受け止めて力になってくれる!
という揺るぎない信頼もあったので、その夜に率直に話した。

 

実は前述したように、
妻が妊娠中に息子の染色体以上が疑われた時も、
偶然北海道にいた僕は、両親にすぐ伝えて、その時の経験からも、
また、これまでの人生における様々なできごとから見ても、

うちの両親は無条件に受け入れてくれて、全面的に応援してくれる!

そんなゆるぎない信頼があったので、伝えることになんの躊躇もなかった。

 

実際にすんなりと受け入れてくれて、全面的に応援してくれた。

とにもかくにも、まだ「疑い」段階で、「確定」ではないわけだし、
病院の先生に詳しく話を聞いて、検査してみないことには始まらん!

だからまず、行ってくるからね!と伝えた。

 

両親は、僕のことは事態がどう転んでも大丈夫だろう!と信頼してくれて、
むしろ、妻と娘とその家族のことを心配してくれ、
どんなことでも力になるからね!と言ってくれた。

本当にうちの両親は最高!感謝感激、雨、あられ!!

かくして、僕は、僕ら家族は、
息子が障がいを持って生まれて来たかもしれないことを
ついに知ることとなったのだ…

 

つづく…